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具志頭村立歴史民俗資料館には、港川人の
全身骨格(レプリカ)などが展示されている。 |
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今ではうっそうと樹木が茂っているここが、1968年に港川人の骨が発見された港川遺跡。 |
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| 沖縄本島最南端の喜屋武岬。かつて海面がずっと低かった時代、大陸や東南アジアから人々が渡ってきた道がきっとあったのだ。 |
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今から37年前、沖縄本島南部の具志頭村港川の採石場からひとつの骨が発見された。見つけたのは地元沖縄の実業家、大山盛保さん。
これが今から約1万8000年前に大陸から琉球列島に渡ってきた人々、港川人だ。その後の発掘で5体以上の骨を確認、日本でもっとも重要な発見といわれた。
ところで、沖縄に来ると気候や文化の違いに驚く人が多いが、もっとも違いを感じるのは人々の顔立ちではないだろうか。ウチナーンチュ(沖縄の人)は眉毛が太く、二重まぶたのクリッとした目をした、いわゆる“濃い”顔立ちの人が多い。どう見ても“縄文人”に見える。
日本人起源説のこれまでの定番は、二重構造論と呼ばれるものだ。旧石器時代に東南アジアから人々が琉球列島を北上して日本本土に渡り、縄文人の祖先になる。その後、北東アジア系の弥生人が北九州に渡来、混血しながら日本列島に広がったが、北海道と沖縄には弥生文化は及ばず、縄文人は南北で沖縄人とアイヌに進化した、というものだ。ならば、この港川人が現代沖縄人の先祖なのだろうか。彼らが移動して本土に渡り、縄文人となったのだろうか。
ところが形質人類学の最近の研究では、骨を見る限り、アイヌと沖縄はまったく似ていないという報告がある。あくまでも骨にこだわると、沖縄の人々はむしろ本土の人に近いという。沖縄では本土との交流がさかんになる7〜8世紀から混血が進み、それ以後人口が爆発的に増えている。このあたりが私たち現代沖縄人の直接のルーツではないかといわれているのだが、まだまだわからないことばかり。
おじいやおばあから友達まで、ウチナーンチュをじっくり観察してみれば、そのルーツが透けて見える、なんてことはないだろうか。 |
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