| 那覇から石垣島へのフライトの途中、宮古島を過ぎると見えてくる、まあるい島がある。ちょうど宮古島と石垣島の中間に浮かぶ多良間島だ。
人口は約1400人。あまり観光地化されていないこの小さな島が、年に一度、人々であふれかえるときがある。旧暦の8月8日から3日間にわたって行われる「八月踊り」だ。
八月踊りは琉球王府の時代、宮古・八重山の人々を苦しめた人頭税と深い関係がある。旧暦8月といえば新暦の9月から10月。稲や粟の収穫を終え、厳しい税を無事に納めた喜びを島人全員で分かち合うと同時に、島の神様にお礼をし、来年の豊作を祈って集落の御嶽の前で踊りを奉納したのが始まりだ。
そのことは、「多良間世」(タラマユー)という唄からもわかる。そこには「多良間が豊年になったら、穀物の上納をすませ、残りで粟の酒、米の酒をつくり、盃を交わしてくたびれるまでお祝いしよう」と素直な喜びが歌われている。
明治期になって人頭税は撤廃され、現在は稲や粟を納めることもない。踊りを奉納する意味も変わったが、きらびやかな衣装をつけ、島民総出で行われる祭りの心は変わらない。
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| 初日は仲筋、2日目は塩川集落で、それぞれ相手の集落を招待するかたちで行われ、3日目は「わかれ」と称して両集落で行われる。 |
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中国的な色で彩られた八月踊りの衣装。すべて島人たちの手作りだ。 |
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琉球王府の都・首里の組踊りが明治期に伝わり、今も祭りのメイン演目として受け継がれている。
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宮古島からも石垣島からも遠い多良間には、交通が発達した現代でも「離島苦」という言葉がつきまとう。島人たちの共同体意識は強く、目に見えぬ島の神を敬う気持ちも揺るぎないものなのだろう。ワイシャツにネクタイ、パナマ帽の正装に身を包んだ島の長老たちが最前列にずらりと並び、目を細めて踊りに見入る姿に、積み重なった島の時間が透けて見えるようだ。
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